history of yamaton

ここでは私が構想している長編歴史小説”history of yamaton”について紹介します 。大和130年の歴史の中でヤマトンが縦横無尽に活躍する歴史小説です。

ここでのヤマトンの設定

1889年に草柳・深見・下鶴間の各村が国の意向で合併して誕生した鶴見村では折り合いが悪く分村運動で荒れていた。分村運動を調停する為に泉の森の龍神は妖精(ヤマトン)を授けた

こうして生まれた妖精の奔走も功を奏し、1891年9月調停策が受け入れられ大和村が誕生した。大和村誕生の功労者となった妖精はヤマトンと名付けられた。その後現代の時代までヤマトンは大和の人々と共に激動の時代を生きた。

2010年にイベントキャラクター就任が打診されたヤマトン。市長の熱意に押されてデビューを決めた。協議の結果、恥ずかしがり屋のヤマトンの意向と、負担軽減の為に着ぐるみを製作した。つまりヤマトンがイベントで人前に出る時には自分の着ぐるみに入って登場するのだ。
ヤマトンの体調やスケジュールも考慮して市役所で着ぐるみだけ貸し出しをする時もあるようだ。さて今日のヤマトンはどちら??

history of yamaton あらすじ

ここではhistory of yamatonのあらすじを紹介します
スターウォーズばりの9部構成を考えています

EP1 大いなる和(大和成立とヤマトン誕生)

国の方針で上草柳、下草柳、深見、下鶴間の4つの村が合併して成立した鶴見村には混乱が渦巻いていた。街道の宿場町として発展した下鶴間と農村だった両草柳・深見は自由民権運動の高揚も背景に意見の相違が目立ち一触即発の事態となっていた。1889年の村会議員選挙では定数12のうち下鶴間の当選者は僅か2名。この結果に下鶴間側は激怒しいよいよ対立は激化する。県と郡役所は調停官を派遣したが、村内の分裂は深まるばかりであった。この事態に水源地の龍神は紛争解決の為に平和と正義の守護者となるべく森の木の葉の妖精を授けた。

EP2 ガーデンシティの夢(林間都市計画)

大和村の名と共に分村運動を乗り越えた人々は妖精にヤマトンと名付けた。一方その頃、E.ハワードが提唱した「明日の田園都市」は阪急の小林一三・東急の五島慶太といった新進気鋭の実業家たちの心を掴んでいた。そして小田原急行電鉄を創業した利光鶴松もそのうちの一人であった。利光は新宿から小田原まで神奈川横断の電気鉄道を敷設する。更に県央相模原と海沿いの江ノ島を鉄道で結び経由地である大和村に中央林間都市・南林間都市と称する一大複合都市の建設計画を打ち出した。

EP3 大東亜の渦(軍都計画と戦時体制)

検討中

EP4 進駐者たち(基地経済で発展)

1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送。大和町にも大きな爪痕を残した太平洋戦争は日本の敗戦で幕を閉じた。8月30日終戦後の新生日本の最高権力者として連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つ。戦後日本は大和から始まったのだ。1950年、米国の占領下で復興の道を歩み始めた日本とは対照的に朝鮮半島では米ソ両陣営のにらみ合いの場となり、ついに戦争が勃発。厚木飛行場は米軍の前線基地として重用されることとなる。基地は大和町の都市発展の起爆剤となった一方で頻発する事故や騒音など基地問題の始まりでもあった。

EP5 帝国主義の野望と夢(高座政令市構想と渋谷村合併)

終戦を迎えた日本には戦後復興の槌音が聞こえはじめる。新憲法の元で民主的な新しい国づくりのための社会改革が求められていた。しかし社会改革の要である地方自治体の財政はひっ迫し危機的状況であった。それは大和町や渋谷町も例外ではない。1949年、来日したシャウプ税制調査団は効率化の為に町村合併を勧告。それを受け1953年町村合併促進法が成立し神奈川県は試案を提示。各町村は合併の渦に巻き込まれた。これが世にいう昭和の大合併である。高座郡では大和主導で渋谷・綾瀬・海老名・座間の各町が高座政令市の名の元で大同団結が模索される中、渋谷では藤沢市への合併派が動きを見せていた。

EP6 平和都市宣言の礎(基地問題と都市発展)

東西冷戦構造の中で大和市民は厚木基地の騒音に悩まされていた。1959年9月藤沢市の民間飛行場に正体不明の謎の黒いジェット機が不時着した。米軍は厚木基地所属の気象観測機と公表したが撮影者は綿密な家宅捜索を受け目撃者には箝口令が敷かれるなど、もはや気象観測機でないことは明らかであった。翌1960年5月同機はソ連スヴェルドロフスク州上空を飛行中、ソ連軍のミサイルに撃墜される。脱出後逮捕されたパイロットは偵察飛行中だったことを自白した。これに激怒したソ連フルシチョフ首相は報復に偵察機の基地もろとも爆撃すると表明。大和市に激震が走った

EP7 市民統合の象徴(イベントキャラクターの制定)

高度経済成長期の急激な人口増加により都市発展を遂げた大和市。古くからの大和市民と新住民、新住民同士のコミュニケーションと連携が求められていた。米軍イーストキャンプ返還跡地に開設された引地台公園では1978年市民連携のための新たな祭り、第1回となる「大和市民祭り」が盛大に開催された。更に1991年大和100周年を迎えたことを記念して、水源地の森も自然保護の為に森林公園として整備され「泉の森」と名付けられた。長年大和を見守りながら市民と苦楽を共にしてきたヤマトンもこれには大喜びであった。その後も都市発展が続く大和市では外国人の新住民も増加し新たな市民統合の象徴が求められた。世は全国的なゆるキャラブームに突入する

EP8 70歳代の逆襲

検討中

EP9 ヤマトンの覚醒(大和独立)

検討中

History of Yamaton ヤマトンの活躍

ブログの方に書いた「History of Yamaton」のヤマトンの活躍を紹介します。

~History of YAMATON・番外編~ヤマトンと70年目の新宿直通の電車(2019/12/17)

相鉄の電車が新宿まで直通することになった。12月のある日、ヤマトンは直通の電車で新宿に行ってみることにしたものの・・
https://blog.goo.ne.jp/kiyop/e/e9ded7f5909145c9cb48992861bec398

未解決事件JFK暗殺と大和市の基地問題の契機 ”history of yamatonから”(2020/5/1)

世紀の未解決事件、アメリカ大統領JFKの暗殺事件。暗殺犯と目されたオズワルドの若き日、ヤマトンと出会っていた。
https://blog.goo.ne.jp/kiyop/e/08c6755a0f422fbd08c8f44fa2c13bb4

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